インタビュー11

インタビュー時年齢:67歳(2017年1月28日)

プロフィール

保険の外交の仕事をしていた40歳前後の頃、しつこい口内炎ができた。歯科医から塗り薬をもらったが効かず、やがてからだに鉛の板を背負っているような重さも感じるようになった。内科を受診するが改善の兆しはなく、歯科医から紹介された口腔外科を受診。その日のうちに細胞診を受け、結果が出ると抗がん剤と放射線の治療を受けることに。その後、手術のために入院した。手術は、左顎、舌の左側三分の一と、左の喉、鎖骨付近まで切除する12時間に及ぶものだった。30年近く前のことでがん告知が一般的ではなかったので、病名は告げられなかったが、後日、保険請求のために診断書をもらった際、封を開いて自分が舌がんだと知った。

退院したのは、2か月後。当時中学3年と小学校6年の子どもの世話は、工場を営んでいる夫がしてくれていた。(夫とは、以前から反りがあわなかったこともあり、その後離婚)退院してからの生活は、咀嚼がうまくできないので食事に苦労したし、発音にも難渋した。「さしすせそ」の発音もきつかったが、舌が動いてくれないので「らりるれろ」が言えるまで10年近くかかった。筋肉が硬直して歯ぎしりもひどく、1年間は寝るときにマウスピースをはめていた。いまでも気が付くと、歯を食いしばっているため、肩こりがひどい。

退院当初は、よだれがひっきりなしに出ることに困ったが、よだれが出なくなったら逆に口がひどく乾燥するようになった。口の中の乾燥がむし歯を作ることを知らなかったので、下の歯が次々にむし歯に。歯を失うたびに入れ歯を作り直さなければならず、調整にも時間がかかる。入れ歯ができるまでは流動食状態で、栄養不良で貧血をおこして倒れてしまったことも。現在は下の歯は1本しかない。歯と入れ歯にマグネットが入っており、それで押さえている。

仕事に復帰はしたが、がんだとわかったので、自分がやりたいことをやろうと考えるようになった。体力的には大変だったが、営業の仕事を続けながら夜間の福祉の学校に通い、1年後に、いつか就きたいと思っていた福祉関係に就職できた。病気になったおかげで、大事なことは何か、優先順位を決める決断が早くなったと思う。

手術直後は、顎を切除したので顔が二段階で90度に角ばっていた。顎の再建は2年後から可能だったが、麻酔が醒めたときの不快感が思い出され、再建手術を受けたのは5年後。腸骨を移植したが、結局溶けてほとんどなくなってしまった。左の腸骨の上がないので、体がかしぎやすくなっている。

30年近い歳月が過ぎ、顎に肉がついてきて以前のようには目立たなくなったが、昔は、外出すると女性に顔をジロジロ見られて不愉快だった。あまりにもひどいときは、こちらから「なにかご用ですか」と言ったりしたこともある。顔に傷があると外出しにくくなるが、せっかくの人生なんだから、外に出る機会を作ったほうがいいと思う。